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〔4〕章(2)節・疾患か甘えかパターナリズムをめぐる・ご感想
日時: 2004/05/17 05:08
名前: 管理者   <info@drkumaki.com>
参照: http://www/dr-kumaki.com

皆様のご感想をお聞かせください。
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Re: 〔4〕章(2)節・疾患か甘えかパターナリズムをめぐる・ご感想 ( No.1 )
日時: 2004/05/31 14:06
名前: ちゅう

「疾患か甘えか」これを扱うのはとても難しいですね。私は看護婦として精神科で働いていましたが、患者さんに向き合う時、いつも子の問題に悩まされました。『病棟というのは退行の促進をもたらす場所である。』とは、そのとおりだと思います。病院の看護方針にもよると思いますが,私の勤務していた病院ではしばしば「退行させないために」と、できるだけ自分の事は自分で行なってもらっていました。ただ、何処までを手伝って、何処までを自分でやってもらったらいいのか、明瞭な基準がなく、看護婦によって対応が違うと、患者さんからも不満の声が上がりました。次第に「なるべく見守ること」が、良いこととする看護になっていき、私は何か違うと思いながらも,どうすることが患者さんにとって一番良いのか分からず困惑していました。その後,他病院の看護体制を見て,退行を怖がりすぎてもいけないと思いました。健康人だって、入院すれば、気が弱くなることもあるでしょうし。
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Re: 〔4〕章(2)節・疾患か甘えかパターナリズムをめぐる・ご感想 ( No.2 )
日時: 2004/06/27 11:17
名前: ようこ

私は15歳の時に統合失調症になりました。
当時は高校受験の2週間ほど前で、自分でも睡眠時間が減っていたし運動不足で、不健康だと思っていました。
でも病気…と言うほどの自覚はなく、ふらふらしたり疲れやすくなっていて、神経が過敏になっていても「自分は病気じゃない、大丈夫…」と思っていました。
学校の先生に受診を勧められ、大学病院に行って検査をしたけれど身体的以上を見つけられず、精神科へ回されました。それで抗精神薬の筋肉注射を受けて帰宅しました。その後ドロドロに眠り、夜も朝の薬も内服しませんでした。そして学校に翌日行ったら、目が上に向いてしまい頭の中が締め付けられるような発作(急性ジストニア)が起き、どうしようもなくなりまた大学病院へ行きました。そしたらパーキンソン病の薬を注射されて、そのまま他の精神病院への入院が決まりました。
まず保護室に入れられ、全てが取り上げられ何もしない・できない日々が始まりました。
毎朝看護師が血圧と体温を測りに来るのですが、私は自分には身体的な病気は一切ないはずだと信じていたので、身体がすごくだるくても「仮病ではないか」と思い、病人扱いされるのが申し訳ない気分でした。
精神を病んでいる自分自身は「病気ではなく甘えだ」と考えていて、医師は「精神分裂病だから薬物療法が必要だ」と考えていたようでした。
疾患か甘えか…と言うのは難しい問題だと思います。
見る人によっても、自分か他人かによっても視点が違いますからね。ただどちらにしても辛そうにしている人が目の前にいるならば、治療としてではないとしても何らかの手を差し伸べてやることは大切だと思います。
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Re: 〔4〕章(2)節・疾患か甘えかパターナリズムをめぐる・ご感想 ( No.3 )
日時: 2004/11/16 12:59
名前: ココ

病名に助けられている、そう思うことがよくあります.
自分で考えても自分が弱いからなのかなとか,
甘えなのかなと思って悩んだり。この病名がなかったら、私は自分で自分が嫌になって自暴自棄になっているでしょう。人間なんて,精神科の診断をつけようと思えば、誰にでもラベリングできてしまうかもしれない.その病名を利用して、事件を起こす人も過去に現れたし。
私は今の病気に甘えさせてもらっているような気がします。自分で自分を受け入れることができたら,私の症状もなくなるのかなと思います。
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Re: 〔4〕章(2)節・疾患か甘えかパターナリズムをめぐる・ご感想 ( No.4 )
日時: 2004/12/18 21:48
名前: じゅん

 看護におけるマターナリズムとパターナリズムという視点は大変新鮮でした。しかし、私見では、現在看護の問題はパターナリズムというより科学への志向ではないかと思っています。看護をなんとか科学にしようという動きが根底にあるのでは?
 それにもかかわらず、患者さんも医者も看護に期待している一番大きな点がマターナリズムであるということ、それが看護のジレンマだと思います。
 マターナリズムは学んで身につける専門性であるのか、女性なら誰でも発揮できる何かなのか? 
 精神科医の専門性が「物語」作成のすべにあるとしたら、女性は患者さんの傍らにいることで期せずして、ある種の「物語」を作成しているということはないだろうか?
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